大逆転の痴呆ケア 読みました

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和田行男さんの著書です。(認知症のグループホームを日本で初めて立ち上げた人です)それも23年前に出版されています。もう、販売されていないのでAmazonで中古の本を買いました。なぜって、ご本人のお話を聞けることになったからです。

それにしても、すごいタイトル名です。電車の中、手にとって読む時、カバンから出すのを少し躊躇ってしまいます。とにかく表紙に大きく目立つオレンジ色で「痴呆」と書いてあるから、なんだかこれを読んでいる自分が、認知症の状態にある人を「痴呆」と言っている人だと思われるのが嫌です。23年前は、みんな当然のように痴呆老人って言ってたかもしれませんが、今は、すごく失礼な言葉と感じます。それだけ、社会は良くなっているのかな?

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内容ですが。23年前にこの内容は、常識をひっくり返す感覚だったのでしょうが、読んでみて実は現在もまだ驚くことばかりです。

認知症の状態があるということが、社会で認識されるようになったけれど、そこには痴呆と言っていた時代を継続していることがあります。なるほど、手厚い介護や優しい言葉かけ、認知症の人の尊厳を守ると、介護される人のニコニコと笑顔の写真などを見ると、世の中変化したんだね、とも思いますが、反面、「その人の生活はどこにあるの?」「その人の生き様は?」と聞いた時、馬鹿なことする痴もの(認知症の状態にある人)には、そんなことは必要ない、ただ、生活を守ってあげればいいのだと。安全安心な(認知症の人を危険から遠ざけ、家族が安心できる)がんじがらめの状態が良いと言っているように感じます。

「人としてみる」ことが抜け落ちていると和田さんは言いました。

実はすごくシンプルな考え方だとも言いました。

財布がないって言って、困っている人がいたら助けるでしょ。一緒に探すでしょ?
認知症の状態がある人だと、「また、そんなことを言って」と済ませるの?。

って感じです。(和田さんは関西弁なので、だいぶニュアンスが違います)それに和田さんは、しっかりとした情報がないと、断言はしない人だと思いました。なんでもスパッと言い切るけれど、それはその課題と思われる状況をよく把握して考えてスパッと言うのです。単に和田節のように考えてはいけないと思います。和田さんて、そういう人だからって言う言い方も。じゃ、どういう人なの?って聞きたくなりますね。

「認知があるから」なんて言葉よく聞きますが、だから何がわかるんだろう?って思うのです。
和田さんにも、認知症の状態にある人にも、今の言葉を発した理由はいろんなことが絡み合っていて、こちらの想定外のことだらけです。こちらの思い込みっていうのが、結構悪さをするみたい。それは認知症を取り巻く状況だけでなく、全てのことに共通していると思います。残念なことに、そういう一般通念的なもので社会は成り立っているし、それをうまく使うことでお金も動くようになっているのではないかと、感じます。

だから「大逆転」って言葉がタイトルの中にあるのかな?でも大逆転っていうのは、よくあることではなくて、なかなかあり得ないから大逆転っていうんですよね。

大逆転にはまだまだ時間がかかる。

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