60歳代の友達の作品です。とても細かい仕事だったり、完成ということがないものに挑戦していらっしゃいます。一人一人好きなこと、やってみたいことは違うのですね。
作者のお話を聞いて、少しづつ紹介していきます。


左の書は、現代詩人吉田一穂の「北國の冬」という詩です。
作品展入賞されたようです。文章は以下のように書かれています。
霏々として乱れ降る雪嵐の中に馬橇の青い燈(ランタン)が掻き消されて行く
作品になるかどうかは字面が大事。見栄え良くなるかどうか、ひらがなと漢字が程よく良い場所にくるかどうか。一番目がいく真ん中に良い字がくるかどうか。それが難しくて。詩を選ぶことで作品の良し悪しがほぼ決まると言われている。 信子さんのお話
馬そりで走っているところに、風に煽られた雪が、彼方からもこちらからも強く吹きつけていて、息もできないようなホワイトアウトの状況なのかな?その中で馬橇についていたランタンの青い火がかき消されていく様子が信子さんの文字でよく表されていると感心しました。息もできず何も見えないながら、それでも前を目指す馬と人の姿が目に見える様です。
普段、穏やかな信子さんから、こんな力強い文字が現れるのを見せてもらって驚くと同時に、彼女の強さを感じることができました。もちろん若い頃から字の綺麗な方でしたが、人生の歴史がさらに文字に重みを加えてい。深い時間を過ごされてきたんですね。歳を重ねることの素晴らしさを感じます。
① 雨や雪などが、しきりに降るさま。
② 雲や霧、かすみなどが一面にたちこめるさま。
③ 物事が続いて絶えないさま。
馬で引くソリですね。明治生まれの一睡さんなので、当時のソリはもしかしたら地を這うように走ったのかもしれません。
右の書は、西條八十の詩。詩集「砂金」「二 砂上の薔薇」
二 砂上の薔薇 砂上に眠れる 盲者の瞼に青白き薔薇の花片を 置きしのみ、 かくて船の人々は ひそやかに笑ひて 去りぬ。 日はのぼり 日は翳れども 亡者はめざめず はた瞼みじろがず、 葩は薫じ息づき 青銅の宝座となり 象牙の美女となりて ふかくふかく瞳をめぐる。
どこかで見たことのある、聞いたことのある風景を感じていました。
ネットで探してもなかなか見つからなかったのですが、実は私の手元にありました。私の60歳の誕生日にこの「砂金」という詩集を贈ってくださった方がいました。60歳は気持ちが落ち込んでいて、何もする気がしなかった時期です。その方は臨床心理士さんで、特に相談をしたわけではありませんでしたが、古本屋で見つけたからといって郵送してくださいました。
詩のことは、全くわからないのですが、(特に読んだこともありません)なぜかその頃の自分に適していたというか。慰められるわけでもなく、励まされるわけでもなく、なんとなく薄寒い気持ちをそのままにいられるような詩が並んでいると感じました。寒々しいけれど、怖いけれど、寂しいけれど、そのままを謳っているようで、詩を読むことで、つかえている何かが流れていくような感じがしました。
ちょうど、母が亡くなった年で、コロナもあって、認知症で施設に入った母とは、ほとんど会えず。眠った顔だけが突然目の前にあって。夏だったにもかかわらず、ただ寒くて。
満月の浮かぶ日に亡くなった母、を思い出すと、何か「青白い」月の光がゆらゆらとして。
信子さんの文字から、亡者の尊厳と美しさと儚さを感じました。