防災訓練、備蓄、緊急時連絡先の確認、避難場所の確認、防災用品の準備、ハザードマップの確認・・・等々。やっておきたいことは数多あります。でも、災害はいつ来るのかしら、明日かしら、それとも私が死ぬまでは来ないのかしら。備えの大切さは頭では分かっているけれど真剣に考えられません。楽しいことではないし、悪いことを想定して準備するのは気が進まないです。大体悪いことはあまり考えたくありません。それでなくても長生きして、いいことがあるかどうかと考えてしまいます。
年金は少なくなるし、気候は厳しくなるばかり、地震が起こり、津波が来て、大雨で土石流が発生して、家々を破壊されたり、日照りがのため山火事が起こりどこまでも燃やし尽くす映像は世界の終わりを感じさせます。コロナも今までの私の生活から楽しいことを奪っていってるし。東京開催のオリンピックだって楽しみにしていたのに。お祭り騒ぎもできないなんて。旅行にも、もっと行っておけばよかったとか。それも世界中の困りごとになっているんですよ。
これで認知症にでもなったら・・・本当に嫌になってしまう。長生きはしたくない。先のことなんて考えてもどうしようもないじゃない。そう思って暮らしている人は少なくないと思います。
確かにひどい状況かもしれません。でも、本当に現代が悪い時代になっているからでしょうか。災害を多く目にするのは実際を見ているのではなく、個人が情報を発信してそれを個人が簡単に見ることができるようになったからとも考えられます。大きな自然災害が増えているのかもしれませんがーインタビューでも「今までに経験したことのない雨だった」と答える人が多いですが、人の一生は長くたって100年程度。地球の歴史から考えてみれば、私たち自身の経験は浅いと考えられます。きっと今までにも沢山悲惨なことはあったはずです。リアルタイムでショッキングな映像として目に焼き付くから、体験しないとわからないことも、画像や映像が断片として私たちの心に突き刺さります。逆に知ろうと思わなければ知らなくてすみます。
結局は他人事であるとして日々が過ぎていくのですが、じわりじわり心を暗くしていくように感じます。困ったことに、暗くなっていく気分が生きる力を奪っていきます。・・・
でもでも。暗くなっている場合じゃない。多分、こうして生きているのは、命を長らえているのは、ただの運の良さだと思うのです。時代や場所が変われば、どうなっているのかわかりません。現在無事なのは自分の力ではなく、すべての絶妙なバランスが保たれているからです。
先が暗く見えるのは、今明るいところにいるからではないかな。
「私から光を奪わないで」と不安な気持ちのまま時間(人生)を過ごすより、何か他にできないか。私の光ではなく、みんなの光だ。そう考えた時、一人で考える自分だけの備えではなくて、みんなで知恵を絞るみんなの備え(それは今生きる人だけのためのものではなくてこれから生まれる人のためも、)が私たちを活かしてくれるのではないでしょうか。今流行りのSDG’S=持続可能な社会の実現ですが、これは単なる目標ではなくて、この行動を行うことが私たち自身の生き甲斐、生きる意味、存在する意味になるはず。
私たちは、お互い助け合い生き抜くことに、何よりも幸福感を感じる生き物なのだと思う。
じゃあ、私はどうするのか?何かできるのか?
・・・とにかく、まずは手を繋ごう。